西郷輝彦の娘は何人?子供たちも芸能界で活躍していた?

歌手・俳優として活躍されていた西郷輝彦さんが2022年2月21日に亡くなったことが報道されました。気になるのは亡くなった西郷さんには何人の子供《娘》がいるの?という点と子供の情報。この記事では西郷さんの子供についてすべてが分かります。

西郷輝彦の子供(息子・娘)は全部で5人!

  • 辺見まりとの間の息子:辺見鑑孝(へんみ のりたか)長男
  • 辺見まりとの間の娘:辺見えみり(へんみ えみり)長女
  • 今川明子との間の娘:貴恵(きえ)次女
  • 今川明子との間の娘:朝佑衣(あゆき)三女
  • 今川明子との間の娘:今川宇宙(いまがわ うちゅう)四女

では長女から順番に見ていきたいと思います。その前に西郷さんは離婚歴があり、生涯2回の結婚生活を送られています。一度目は1972年に辺見まりさんと結婚され、約9年後の1981年に離婚されています。その9年間の間に辺見鑑孝さんと辺見えみりさんが誕生しました。

西郷さんは1990年に19歳年下の明子さんと結婚されました。明子さんは生涯西郷さんのそばにいて支えてくれたようです。お二人の間には貴恵さん、朝佑衣さん、今川宇宙さんが誕生いたしました。

この前提のお話を元にお子さんたちの情報を読んで頂ければ、より一層楽しむことができると思います。

辺見まりとの間の息子:辺見鑑孝(へんみ のりたか)長男

1973年に誕生した鑑孝さんは1991年にタレントマネジメント業を開始、その後はミュージシャンとして活動されています。2001年に「changin’ My life」というユニットのリーダーとして「Luv.Remix」でデビューされたようです。ですがその後、「changin’ My life」を脱退し、ロックバンドの「爆音カフェ」のリーダー兼プロデューサーと活動されたようです。がしかし、爆音カフェのプロデューサーをやめ、父の西郷輝彦さんの全国ホールツアーに参加したり、芸能事務所を設立したり等、芸能界の裏方として活躍されているようです。

様々な経験を得ているので、芸能界で生かせそうですよね。

辺見まりとの間の娘:辺見えみり(へんみ えみり)長女

1976年に鑑孝さんの次にえみりさんが誕生します。えみりさんはドラマにデビューするとそのルックスや立ち振る舞いで番組などに引っ張りだこになりました。えみりさんがデビューしてから父と初めて共演されたのは2018年の「ダウンタウンなう」でした。

えみりさんは両親が離婚後、親権はまりさんが持ち、父とはなかなか会えない状態でした。2018年に初めて共演を果たすと、ダウンタウンなうで「なぜ今まで共演されてこなかったのですか?」と質問された際、えみりさんは「嫌だったから共演しなかった。」とバッサリ言いました。

しかし西郷さんは娘と離れ離れで暮らすことが物凄く嫌だったそうで、「娘に会いたくてたまらなかった」とテレビで言っていました。離れていても子供のことを気に掛ける素敵な父親が垣間見えた回でした。

えみりさんは幼い頃、母のまりから父(西郷さん)について詳しく聞かされておらず、「西」という文字がつく人で歌っている人。ということしか聞かされていなかったそうです。その情報からえみりさんは「西城秀樹」だと勘違いしていたそうですが、のちほど西郷さんであることを知った時、「そっちか」と口にしたことを放送されていました。

今川明子との間の娘:貴恵(きえ)次女・朝佑衣(あゆき)三女

西郷さんは離婚後、明子という一般人女性と再婚されます。明子さんは西郷さんの芸能事務所で働いていたそうです。明子さんは一般人なので詳しいことはわかりませんが、接した人が好印象を抱くそうで、外でも中でも評判が良い女性だったそうです。

西郷さんが離婚した際、気にかけていたそうですが、離婚後は積極的にアプローチしなかったそうです。ただ明子さんは本当に素敵な女性ですので、縁談話が持ち上がり、「地元静岡に帰ってオミアイをするから事務所を辞めたい。」と西郷さんに伝えると「はい。どうぞ。」と答え、明子さんは帰ってしまいます。

しかしどうしても明子さんのことが気になり、車で追いかけ、結婚を申し込んだ。というエピソードがありました。そしてめでたく結ばれました。

貴恵さんと朝佑衣さんは芸能人ではなく一般人なので、一切情報がありません。

今川明子との間の娘:今川宇宙(いまがわ うちゅう)四女

西郷さんが50歳の頃に宇宙さんが生まれました。宇宙さんは現在タレントとして活躍されており、以前はアイドルでした。またタレント業以外にもイラストレーター・歌手としても活躍されております。

宇宙さんは芸能界に入った際、西郷輝彦の娘であることを伝えずに入ったそうです。西郷さんと宇宙さんは2016年1月で親子共演をしており、そこで初めて親子であることを公にしました。

そしてお父さんがなくなられた際、noteにて自身の思いを綴っています。

父、西郷輝彦が、前立腺癌により、2月20日の午前9時41分に病室で息を引き取りました。


生前父を応援してくださった沢山の皆様、ファンクラブの皆様、お世話になった沢山の皆様に、心から感謝申し上げます。

報道が出てから沢山のご連絡をいただき、父がどれほど愛されているか改めて実感しました。
私のSNSにメッセージをお寄せくださった皆様も、本当にありがとうございます。

2月19日、演劇の公演期間中だった私は、父の病状を聞き、無理を言って昼公演と夜公演の合間に病院へ駆けつけました。
父は思ったより顔色が良く、不織布マスク越しに目を合わせてニヤッとすると、酸素マスク越しにニヤッとし返してくれました。


いつも書斎で音楽を流しながら仕事をしていた父。
もしかしてずっと音楽を聞いてないんじゃないかと思って、耳元にiPhoneを置いて、父の大好きなビートルズのLet It Beを流しました。
これこれ。という顔。目がキラキラして、手でリズムを取って、口パクで少し歌ったりして、曲が終わったら酸素マスク越しに手の甲にキスをしてくれました。
「これ(酸素マスク)邪魔なんだよ。」というおどけた仕草までして見せてくれて。
そのまま少しまどろんでいたので、「明日も来るからね」と言って、病室を後にしました。


2月20日、演劇の千秋楽の朝。
父と一緒に聞きたい曲を集めたプレイリストを作りながら劇場に向かう途中、姉から訃報の電話が入りました。
本番までには劇場に戻ることにさせていただき、なんだか信じられない心持ちで病院に向かいました。


私が到着した頃にはまだ体温も少し残っていて、まるで眠っているようで、呼び掛け続ければまた目を覚ますんじゃないかと思ってしまう程に穏やかな表情でした。
母に支えられながら長い戦いを終え、やっと痛みや苦しみから解放されて、安心しているようにも見えました。


私は家族より先に病院を出て急いで劇場に向かい、開演ギリギリの到着になってしまったけれど、
あたたかい共演者の皆様に支えられ舞台に立つことができました。 

元気だった頃は、私の芝居を見に必ず劇場へ足を運んでくれた父
何度も芝居の相談に乗ってくれた父
私が芝居で悩んで泣きながら帰った日は、何も言わずに抱きしめてくれた父の眼差しが
劇場全体を包み込んでいるようで、自分でも驚くほどに落ち着いた気持ちで千秋楽を終えることができました。


もうあの深く優しい声は聞けないのかと思うと、今は胸が張り裂けそうなほど苦しく、悲しいです。
父との沢山の温かい思い出ひとつひとつを噛み締めながら、またお世話になった全ての皆様への感謝の気持ちに包まれながら、今は家族一同静かに過ごしております。

沢山の思い出話は、これから少しずつこぼさせてください。


偉大な俳優・歌手であり、芝居や歌や人生について多くを教えてくれた師匠であり、
そして何よりも強くて優しくて家族思いな、この世でたった一人の大好きなお父さん。
つらくて苦しかったね。最後まで頑張ってくれて本当に本当にありがとう。
世界で一番大好きだよ。
あなたの娘に生まれて私は本当に幸せです。

改めて、生前父を愛し、応援してくださった皆様。お世話になった関係者の皆様。心からありがとうございました。


そしてこれからも
父という人間を
父の出演してきた沢山の素晴らしい作品を
父の音楽・歌声を
一緒に末長く末長く愛し続けていただければ幸いに思います。

引用元:note

子供たちも芸能界で活躍していた?

いかがでしたでしょうか。西郷輝彦さんのお子さんたちについてそれぞれ解説してきました。まずは西郷輝彦さんのご冥福をお祈り申し上げます。

西郷さんのお子さんは5人いてそのうち3人が芸能界で活躍されています。お子さんたちの頑張る姿を見守ってくれていることでしょう。

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